今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 63度目
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711: おさかなくわえた名無しさん 2009/12/14 20:24:31 ID:dIYvDPBi
阪神淡路大震災。あの大揺れはまさに未知の衝撃だった。
当日、不精でコタツ入ったまま寝てたのが幸いした。
頭側にあった本棚がコタツにのしかかる様に倒れ、そこに更に別の棚や家具が重なり、
本を頭にしこたまぶつけたものの、屋根等重量物の直撃は避けられ、結果的に俺を守る盾になってくれた。
どれほど時間が過ぎたか、いつの間にか揺れは収まっていたが、身動きは当然とれなかった。
最初は色々あがくが、ミシミシと気味の悪い音を立てるだけで、むしろ均衡がやぶれて崩落しかねない状態だった。
それからはとにかく必死に叫んだ。狂いそうだった。
「誰かいるのか!?」と返事が来た。俺はもう必死に助けを求めた。
「おい!ここに人がいる!手伝ってくれんか!?」と周囲に呼び掛けてくれた。
それから数人の男性が四苦八苦の末、俺を外に引きずり出してくれた。
家全体が / こんな具合に傾いてたんだが、これも幸いに俺はスラッシュの右側に位置しており、
周囲のガレキを突っ込んで最低限のつっかえにし、後は力任せに引っこ抜かれた。
外に出て俺は周囲の光景に絶句した。地獄がそこにあった。
「大丈夫か!?なんともないか!?」の声に我に返り、
助けてくれた数人の男性に、俺は土下座し泣きじゃくりながら感謝した。
「気にするな!困った時はお互い様だろ!」と肩を叩いてくれた男性の手は、
手に限らず全身が傷だらけの血まみれだった。
「何でそんなになってまで…」と泣きながらようやく絞りだしたら、
「腕の一本や二本で人の命が助かるなら、安いもんだろう!」
あの大地震の物理的な破壊力。住み慣れた街の変わり果てた姿。絶体絶命の窮地。
いずれもこれ以上ない衝撃だった。
だが、その地獄の中で尚、自らを省みずに他人を助けようとする人々がいた事。
こんなに愕然とした事はなかった。
年々マシになってきてはいるが、毎年あの日が近付いてくると、早朝にふと目が覚める事がある。
あの悪夢を思い出しながらも、腕を失おうと目の前の命をすくい上げられるよう、いつも覚悟を改める。
714: おさかなくわえた名無しさん 2009/12/14 20:44:07 ID:GHmNqn+v
>>711
95年だったっけ?6000人くらい亡くなったんだよね確か。
今年の8月に駿河湾で発生した地震で自分のところは震度5だったんだけど、それですら充分怖かった。
震度7近い衝撃ってのはちょっと想像を超えてるかもしれん。
当時テレビ映像を見てても充分衝撃的だったけど、あの瓦礫の街を見事に復興させた人間の底力は凄いものだと思うし、
当事者が今こうして生きててネットしていられるってのも、他人の事ながら嬉しいものだわ。
俺も伊豆に住んでいる以上、決して他人事じゃないしなあ。
720: おさかなくわえた名無しさん 2009/12/14 22:26:40 ID:CV+17Mta
>>714
>95年だったっけ?6000人くらい亡くなったんだよね確か。
別の国の出来事みたいなノリだな
722: おさかなくわえた名無しさん 2009/12/14 22:45:54 ID:GHmNqn+v
>>720
伊豆からしてみりゃ遠く離れた地域のことだし、当事者や近辺の人と比べれば当然記憶は曖昧。
死者の数だって6000人くらいという記憶しかない。
崩れた高速道路(?)から観光バスがはみだして停まっている映像なんかは、いまだに記憶に残ってるけどね。
あの頃はオウム事件もあった年だったと思うから、そういった衝撃の中で埋もれて行った分もあるんだと思う。
うちも地震の危機に晒されている地域だから対岸の火事的なノリで書いたつもりはさらさら無いのだが、
もしそういう風にとれてしまうようであれば謝るよ。
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